「うわ…俺の年収、低すぎ?」に潜む罠

他人と自分の収入や資産(お金の量)を比較し、
他人より多ければ満足で、少なければ不満、
という思考に染まっていませんか?

一見、

「収入や資産が多ければ多いほどいいんだから、
他人より多ければそれでいいじゃないか」

と思われるかもしれませんが
そこには、ある大きな罠が潜んでいます。

他人の年収に興味のない人はいない

「うわ…私の年収、低すぎ…?」

という広告、一度はご覧になったことがあると思います。

これはあくまでも僕の推測に過ぎませんが、
かなりクリック率が高いと見えて、
ちょっと違うバージョンの広告も含め
たくさんあったように思います。

他人の収入や資産は気になりますよね。

それは単純に興味本位のこともあれば、
自分の年収って、ホントにこれでいいのかなぁ?
という漠然とした不安や疑問もあるのだと思います。

そうした思いが「うわ…」の広告を
成長させたとも言えますね。

ところが、年収でも資産でもそうですが、
他人や何かを基準に自分のそれを比較すると
少なからず面倒な問題が出てきます。

他者との比較で多い、少ないを判断してしまうと、
自分にとって多いか少ないかが
本当の意味で分からなくなってしまいます。

金額の多い少ない、が問題なのではなくて、
他者を基準にする事が、問題なんですね。

あたり前ですが、個人の価値観や生活環境は
個々人の事情により千差万別。

ですから、そもそも収入や資産が
十分なのかどうか他者と比較なんて
容易には出来ないはずです。

でも他者との比較で判断してしまいがちなのは、
自分にとって収入や資産がどれぐらいあればいいかを
判断することが意外に難しい、という事情が影響しています。

よくFPが有償で個別のライフプランを作ったりしますが、
あれが商売として成り立つぐらいですから、
その面倒くささが理解できると思います。

そこで結局、他人や何かとの比較という
(安易な)方向に流れてしまいがちです。

これは別に個々人が悪いわけではありません。
ヒトが陥りがちな「典型的」な罠なのです。

「影響力の武器」で有名なロバート・チャルディーニは
その著書の中で

曖昧な状況のもとでは特に、他の人が何をしているのかを知ろうとする傾向を皆が持つことにより、【集合的無知】と呼ばれる非常に面白い現象が生じてきます。

と指摘しています。

我々人間は、難しい状況では他人の動向を見て判断しがちで
それが一概に悪いとまでは言えません。

状況によっては素早い判断が求められる場合もあるので、
こうした簡便法は時として非常に役に立ちますし、
うまくいくのであればこれほど便利で
効率的な方法もなかなかありません。

だからこそ、我々はこうした簡便法を
無意識のうちに発展させてきたといえるでしょう。

しかしチャルディーニ氏が的確に指摘しているように
我々は「集合的無知」に陥らないように
注意を怠らないようにしないといけません。

特に収入や資産、保険など、個人の事情に強く依存するものを
他人基準で判断してしまうと判断を誤る可能性が
高くなってしまいます。

「他の人はどんな保険に入っているのですか?」

「売れ筋上位のファンドはどれですか?」

こう、思ったことはありませんか?

これらは形は違うけど
同じ種類の「罠」が潜んでいるのです。

実は他人を基準にすることの問題点が、
もう一つあるんです。

続き:年収が人より多くて、何がいけない?

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「うわ…俺の年収、低すぎ?」に潜む罠” に対して1件のコメントがあります。

  1. @H_W_Abnormal より:

    「うわ…俺の年収、低すぎ?」に潜む罠 https://t.co/MlO7YN8H92

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